寄稿:空気浄化を科学にする

九州大学大学院農学研究院教授(工学博士) 白石 文秀

第6回 浄化性能のない空気清浄機が売れる理由

第4回で述べましたように、私は10社程度の空気清浄機を手に入れてVOCを含む空気の処理性能を調べ、これらのほとんどがVOC濃度を1 ppmの低濃度域でまったく、または実用的な速度で低下させることができないことを確認しました。しかし、明らかに消費者の期待に沿わないこのようなものが、空気清浄機として堂々と販売されています。なぜこのようなことが可能なのでしょうか。それは、空気清浄機という名称を持つ装置にVOCを分解・除去しなければならないという規則が課されていないからです。花粉、ほこりなどの大きな微小粒子を除去することができればいいのです。

それでは、これらはなぜ売れるのでしょうか。その大きな理由は、消費者が製品の性能を自分で確かめることができないからだと思います。「あの有名なメーカーの商品だから」、「日本のメーカーは高い技術力を持っているから」、「しかも何万円もするものだから、それに見合う性能を持っているはず」と、消費者は疑心を抱くことなく購入してしまうのだと思います。

消費者は測定器を持たないため、空気清浄機を運転した際にVOC濃度がどれくらい低下したかを知ることができません。1 ppm以下の濃度になると、プロでも正確に測定することが難しくなります。それでは、クーラーはなぜ売れるのでしょうか。手をかざせば冷たい空気が出ていることを感知できるからですね。しばらく運転しても部屋の温度が一向に下がらなければ、クーラーを買う人はいなくなるでしょうね。空気清浄機でも消費者が空気浄化の程度を知ることができるようになれば、その多くは商品価値を失うことになるでしょう。

数年前から、空気の総VOC濃度(空気中に含まれる多くのVOC濃度を合わせた値)を表示するセンサーが数万円で市販されています。測定精度を調べたところ、表示値は真の濃度と大きく異なることがわかりましたが、それでもppbの単位で表示される値は、室内空気が汚れているかどうかを知るための目安にはなると思います。これが普及すれば空気清浄機に対して消費者の厳しい眼が向けられるようになるでしょう。

一方で、環境指針値のような小さな濃度まで、あるいはそれ以下まで空気を浄化する必要があるのかという疑問を持つかもしれません。要求される空気浄化の程度は人により異なります。化学物質過敏症というあまり認識されていない深刻な病気があります。この病気で苦しむ人は新聞や雑誌のインクの臭いを嗅ぐだけでも気分が悪くなります。ペンを使うことができず、鉛筆でしか文字を書けない人がいます。ましてや、建物の材料、家具などから放出されるVOCを多く含む空気環境中には住むことができません。具合が悪なり、近くの病院へ行っても相手にしてもらえないことが多いそうです。これは医者でさえこの病気の存在や実態を知らないからです。このような話を聞くと、自分は生まれつきからだが強いので大丈夫だと言う人がいると思います。でも、いつ発病するかわからないのがこの病気の怖いところです。予防するには化学物質に曝されないようにすることですが、現代社会ではとても難しいですね。私の周りを調べてみると、化学物質過敏症の予備群が意外と近くに多くいることがわかりました。彼らはこの病気の存在を知らず、まだ発病するまでには至っていません。話を聞くと、洗濯した衣類や化学物質の強い臭いに接すると気分が悪くなるそうです。最近は洗剤に含まれる柔軟剤が問題ですね。不幸にも、我が国には化学物質過敏症を治療してくれる医者がいません(世界でも同じだと思います)。この問題に対処するには、1 ppm以下の濃度域でもVOCを分解・除去してくれる真の”空気清浄機”が必要です。

以上のように、VOCの分解性能がない(または低い)空気清浄機が売れるのは、消費者自身がその性能を評価できないことにあると考えられます。これを余所(よそ)にして、「売った方が勝ち」という身勝手な考えを放置しておくのはいいはずがありません。

(令和2年7月27日)


寄稿|白石文秀教授(工学博士)
所属
九州大学大学院農学研究院生命機能科学部門
   システム生物工学講座 バイオプロセスデザイン分野
     (兼任)イノベーティブバイオアーキテクチャーセンター
     システムデザイン部門 バイオプロセスデザイン分野
HP
http://www.brs.kyushu-u.ac.jp/~biopro/


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